小池直人さん(哲学者)
デンマークとの偶然の出逢いから、約30年にわたってデンマーク社会の研究を続けてこられた、社会学、哲学研究者の小池直人さん。これまで准教授として勤めてこられた名古屋大学は、2021年3月で退任されました。退任前のお忙しい中、訪問をこころよく迎え入れ、今日に至るまで、自らの身体をもって感じ、捉えてきたデンマークについてお話くださいました。
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著書を読ませていただきました。 |
哲学の勉強、研究をしていて(頭でっかちになっている自覚もあるのですけれど)、ではそのアイデアの世界がじっさいにはどうかといえば、現実とはまったくかけ離れているというのはよくある話です。
そんな時、偶然に訪れたデンマークに衝撃を受けました。それでこの国の勉強をはじめましたが、それからもう30年弱になります。現実世界と、ある種の人間の求める理想がかなり近いという印象があって、なぜ、このような社会が成り立っているのかということを基本的な問いとして、ゼロから研究を続けてきました。あと何年生きられるか、いつ死ぬかは分かりませんが、ともかくそれまで研究を続けるということでしょうね。
最初のデンマークとの接点を教えてください。 |
1992年、ちょうど貧乏で不安定な生活をしていた私が大学に就職し、給与の使い道に「困っていた」時、知り合いに連れられて偶然デンマークを訪れたのがはじまりです。
1990年代前半は、日本が介護保険制度の導入を検討していた時期で、当時から、北欧といえば高齢者や障害者にたいする福祉が手厚いことで有名でした。実際に、友人とデンマークを訪問した際、現地の人やそこで暮らす日本人などに話を聞くと、そこに「哲学」があることにまず驚きました。それまでドイツの理想主義を学んでいましたが、ドイツではうまく実現できなかったのに、この国ではそれが本当にあるのだという衝撃を受けたんです。
その衝撃は、具体的にはどんな体験と共にあったのですか? |
例えば、施設に見学に行って職員や自治体の公務員の方々の話を伺うと、物事を決めていくときトップダウンではなく、いかに話し合うか、住民の声を聴いてそれを実現していくかという姿勢が根底にあることを知ったのです。学校教育の現場においても、教師と生徒は常に、お互いのコミュニケーションによる同意が基本にあって、詰め込み教育やテストすらしないと言うんです。
イギリスやフランス、ドイツ、アメリカなど、工業化、近代化によって世界のトップをいく先進諸国、私たち日本人はそれらの国々に並び、追い越そうと努力してきました。「右肩上がりの経済成長」は今でも理想のようにいわれますが、しかしそれとはまったくコンセプトが異なる、「人間として生活する」ことを大切にする世界がそこにはあった。これは私にとって人生観を揺り動かすような大きな発見でした。
その後、1995年に留学をしました。
ドイツの社会学者マックス・ヴェーバー(1864年-1920年)は、著書『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の中で、社会の近代化の行き着く先に時間をきちっと守り、頑張って働き、個人が競争する生活が現れ、機械のように合理的な社会制度がつくられるとしています。ですが他方で彼は精神の豊かさや心の温かさが失われることを大いに危惧しました。ヴェーバーはそのことについて、受け入れ難いことだが「運命」なので我慢し、その現実とたたかい続けようとした。それは本当に暗い結末に思えました。この悲観的世界にたいして、同じプロテスタントでも隣国デンマークでは、それとは全然違う世界がありました。
ですが、私がはじめて訪問した1990年代はじめのデンマークは、財政赤字がしだいに解消されつつあったものの、グローバル化の難問と大量失業が問題として噴出し、1980年代からずっと「福祉国家危機」と言われていました。ですから、1990年代は大きな転換の時だったと思います。問題を解決しながら福祉国家の良いところを伸ばしていくという大転換で、その結果「世界一仕合せな国」と言われるようになりました。
デンマーク各地へ旅をされていたと思いますが、ご自身の足で向かわれたのですか? |
当時、実際の社会生活がどのようになっているか、社会科学に関する研究文献は日本にはあまりありませんでした。国柄がよく知られていない状況で、有名人といえばアンデルセン(童話作家)やキルケゴール(哲学者)ぐらい。そして昔からの農業国というイメージでした。その土地のことは、じっさいに足を運ばなければ何も分からなかったんです。
その結果、今は知られていないが、10年後、20年後にはすごく画期的なことが行われている、それは社会科学研究にとってたいへん重要になると思い込んで、自費で何度も現地訪問し、デンマーク語学習や資料収集、施設訪問など調査を重ねました。少しずつ結果を集めていけば、いずれ必ずプラスになるはずだという、信念をもってやっていましたね。40歳になる手前のことでした。
その研究は遅れたスタートでしたが、「ゼロ」からの調査であっても、20歳代から社会や政治、ドイツ哲学などの勉強はしていましたので、現地に行って見、聞き、触れる世界の意味や価値がある程度わかりました。もっと若かったら、実際の経験をスゴイとか、すばらしいとか、感情的には表現できたでしょうか、学術的に上手く整理してことばにすることは出来なかったでしょう。
私がハマってしまったのは20歳代から続けていた地味な学びの道のりと、偶然の初訪問の機会がちょうど良いタイミングで出逢ったんだと思います。
一年間の留学後、幸いにも2000年代に再度の留学もできました。短期間ですが夏休みにも語学学習で現地に行き、学校が終わるとそのまま地方にしばらく滞在するということを10年近くやってきました。
日本とデンマークの違いで驚かれたことは? |
留学先の大学で、教授と学生がお互いをファースト・ネームで呼び合う友人のような関係性にあることには驚きました。じっさいに「教授」と面と向かったらどう呼んでいいか困りました。日本に持ち帰って適用できるような風習ではないので、現地で受けたショックは、帰国後はそのカルチャー・ショックの揺れ戻しに悩み、しばらく不適応状態が続きました。
経済的、技術的には日本の方が上と言われます。たしかにこの面で、日本はモノや技術的便利さに溢れた国だということを再認識しました。ですが、生活や福祉、環境、ジェンダー、自由や民主主義・・・の先進的な考えは、デンマークの方が圧倒的に進んでいて、その差というのは、いわゆる「先進国」と「開発途上国」との違いほどあると感じました。同じレヴェルに立てるには、日本が彼らの文化を理解し、受け入れられるようになるということに等しいですが、まだまだ時間を要するというのが私の実感です。
そのことに気付いてから日本に生活スタイルを直接持ち込むという考えを改め、その国の理想や哲学を参考にしながらも、一挙に問題を解決するというのではなく、「途上国」である日本では、この場から積み上げていくのだと意識しています。
たとえば日本には、いまだに侍文化の思想があります。しかし実際には、侍よりも農民の方が多かったわけです。今は公式の制度としては無くなっていても、身分の文化の名残が地位の上下関係というかたちでいまだに影響力をもっています。しかしデンマークの社会は、国を創った時の多数派であった農民の「平等主義」で理解されている。この平等主義をもって、国の基本的な生活や文化、社会や政治の哲学を提示してきたのがグルントヴィ(牧師、作家、詩人、哲学者で教育者であり政治家1783年- 1872年)という人です。
20世紀になって農民人口は激減しましたが、彼の哲学は今、この国の何処に行っても定着し、生かされているのを感じます。
人々の意識に大きな違いのある日本とデンマーク。 デンマークの人々にある平等意識をわたしたちの暮らしに移植するには? |
地位や身分ではなく、平等な関係や制度はたいへん大事なことですが、それをそのまま日本に移植するのはかなり難しい面があるというのがわたしの実感です。なぜそうなっているのか、冷静に理解されない。まだ日本では、社会全般にデンマークや北欧を偏見と崇拝の両極端で見る傾向があります。つまりよく理解するにはまだまだ知識や情報、経験、そして研究が欠けています。
ただ、そうした努力をされている方々が増えていますので、そのなかで個々の努力に繋がりができていけば、デンマークの発想に接する場があちこちにつくられていくはずで、いずれそれらがさらに繋がって、「こういう風にできるんだ」と社会のなかで理解されていくことはあるだろう思います。
私に出来ることは、文化や哲学の視点でデンマークという国がどのようになっているか、どのように社会が成り立ってきたかを伝えること。とくに強調したいのは、そこに息づく共通する哲学を知ってもらうこと、そこがポイントですね。日本でも社会福祉制度、街づくり、エコロジー、デザイン、ジェンダーの平等、民主主義・・・などの改善の取り組みはいろいろあるでしょうが、まだバラバラの面が強い。ですが、それらに共通する哲学があるはずだし、それを練り上げることが必要だと思います。
かつて100年頃前の日本には各地に「日本デンマーク」をつくろうという活動がありました。この近辺では愛知県の安城市周辺などが有名です。そこでは必ずと言っていいほど、"農村文化の父" としてグルントヴィの紹介がある活動でしたが、その後、世界恐慌があり、農業恐慌があり、さらに、もう農業ではなく工業化だという時代の流れの中で立ち消えになった経緯があります。
じっさい日本の農業も縮小しましたが、しかし今でも、グルントヴィ哲学は日本でもかたちを変えて復活できるはずだという予感が私にはあります。じっさい、デンマークでは農民だけでなく、工場労働者にも、サーヴィスや教育、情報等の場で働く人々にもその哲学が影響をもち続けているのですから。
初めて訪問された時から30年が経ち、日本の風土は少しは変わってきたという印象はありますか? |
ありますね。いちばんよくわかるのが、再生可能性エネルギーにかんすることです。1990年頃には、日本ではそれほど話題になっていませんでした。今では政府レヴェルでは消極的ですが、一般レヴェルでは原発事故などの災害もあってその方向を進めるのが当たり前になりました。
また、経済の停滞、後退もありますが、経済成長だけでものを見るという風潮が変化してきています。幸福度など多様な指標で社会や国を見ていこうという動きが進んでいる。日本は大きな経済力はあるものの、この間、貧富の差が拡大し、雇用や生活の不安なども広がって、生きにくい社会になり、このままではいけないと感じている人々が増えています。ただ、それをどう解決したらよいのか、その方向性がまだ鮮明でないという状態にある気がします。
他方、デンマーク社会はこの30年を見ると停滞しておらず、むしろチャレンジ精神が旺盛で、独創性を生かせる環境があります。失敗は社会が背負うから、チェレンジをという意識があり、じっさいに社会制度がそれを支えています。
また情報化の波に乗り、その最先端で動いている国でもあります。自動車やICTの製造工場はなくても、科学技術を吸収しながら、それらを生活の中でうまく生かしていくことが得意で、科学技術の使い方について誰よりもよく知っている。「生活を豊かにするために、いかに使いこなすか」ということをよく考える人々であり、社会です。
最近の若者や学生に関して、平等に対する意識や思想についてどう感じていらっしゃいますか? |
波がありますが、昔よりもいろいろなことを個人で考え、個人で解決する傾向が進んで、政治意識、自治意識の面では概して停滞している印象があります。格差社会になってきて、大学自体がある程度所得のある家庭に育ち、教育費をかけられる若者が入る場所となり、低所得家庭の若者には敷居が高くなりつつあります。また、大学の習得する知識の中心が国際化や情報化に対応するスキルに移っていますが、学業が忙しくなって、人間としての智恵やスキルを身に着ける余裕がなくなっている気もします。
学生たちはよく社会のことを知っている。けれども、理想がない。将来への期待が持てないなかで、現状から未来を想像し、その想定内で生きようとしているように見えます。その意味では、チャレンジ精神の衰退があるようにも感じますが、もちろんそれがすべてではないでしょう。人によって、個々人によって様々な面があります。じっさいSNSなどを使いこなす積極的な活動もあります。また大学によっても個性は違うと思います。
ただ一つ言えるのは、良識を含む知識の場が大学から一般社会に移っているのではないかという印象があります。
かつて宗教が社会を安定させる役割を担い、その後科学が人類の福祉という合言葉とともに進歩の最先端を担い、その場として大学の発展がありました。ですが、科学も様々に枝分かれして限界も問題も見えてきた今、私としては「学芸」という概念をキーワードに、良識とペアになった知識のあり方と、それに基づいた社会の創り方を大学だけでなく、広く社会の良識(コモン・センス)として考えていきたいです。
「学芸」は、立派で最先端の知識である必要はなく、普通の人々の生活の中に、科学や宗教などの智恵が生かされ、またそれらを発展につなげ、しかも社会生活の安定をもたらすようなものを考えています。
そういった社会の実現のため、思想を持って具体的に取り組んでいる人はいますか? |
最近では、社会教育、環境、福祉、デザイン、ジェンダーの平等、そして情報といった様々な分野で、みなさんがそれぞれに活動をされているようです。
デンマークとの関連では、再生エネルギーの開発や普及に取り組んでいる方々、グルントヴィの思想の普及に努めて、ホイスコーレをやってみようとしている方々、福祉制度を学び紹介していこうという方々、様々です。愛知大学の方が中心になって全国の公務員の方々、民間企業に働く人々と一緒に集り、日本の公共のあり方について考える研究ネットワークがあるのですが、昨年私はその方々からのインタビューを受けました。とくに取り組み状況の全般に詳しいわけではないですが、その他たくさんの方々が、今いろいろな取り組みやチャレンジをしていると思います。
たしかにまだ大きな流れになっているとはいえないでしょう。しかし、それぞれの人がそれぞれの場で、それぞれの仕方で取り組んでいることが繋がっていくと社会の動きとなっていくことが期待できます。先ほどお話しした「日本デンマーク」運動が広範囲に新しいかたちで復活することも十分考えられます。
それらが繋がっていくことが肝要ですが、その時にはやはり共通する哲学が必要になります。そういう哲学をうまく表現していくことが、本来私たち研究者がやらなければいけないことだと感じています。なかなか出来ずにいますが・・・。
コンセンサス・デモクラシー(話し合いと合意の積み上げによって成り立つ社会)なども19世紀のグルントヴィの発想から開発され発展してきた面がありますが、北欧語へのアクセス難もあって日本ではその実状がなかなか情報として共有できずにいます。すごく大事なことはわかっていても、きちっと理解して、一般の人々にも伝えていくにはやはり、かなりの時間を要します。
ですから、10年、20年単位で変わっていくものかもしれません。前にもふれましたが、風力発電など30年前の日本でまったく理解されなかったものが、今ではあたりまえこととなっている。社会が変わるには時間がかかるものです。中長期的な視野での取り組みと、そのネットワークづくりが大事ですね。自分の興味が湧くところにまずアクセスし、そこからまた交流も広げられる、広がるといいですが。
今後のご予定はありますか? |
2021年3月末で退職し、その後は非常勤講師などをしながら研究、翻訳に専念する予定です。グルントヴィの著作の翻訳と、デンマーク社会の歴史や哲学を学術ベースできちんと伝えることが私の役割と思っています。
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2021.1.27@愛知県名古屋市
対談:小池直人氏 × duckfeet Japan 種本浩二
◉PROFILE 小池直人 日本の哲学者、名古屋大学准教授。元唯物論研究協会委員長。デンマーク留学や現地でのフィールドワークを重ねながら、約30年にわたりデンマークの社会と思想を研究。哲学者グルントヴィを翻訳。 著書| 『デンマークを探る<改訂版>』(風媒社)2005 『デンマーク共同社会(サムフンズ)の歴史と思想 新たな福祉国家の生成』(大月書店)2017 共著| 『生き方のかたち 現代社会と若者』池谷壽夫,高木傭太郎共編(かもがわ出版)2000 ハル・コック『生活形式の民主主義 デンマーク社会の哲学』(花伝社)2004 |