有田淳介さん

 

溢れるエネルギーのバランスを取りながら
変わり続けて。

 

 

 

「ふと、雲の切れ間からその華麗かつ雄大な姿を見せた時などは、ただただ涙が流れ、手を合わせる。ここには神と自然がある。他には何も無い。ここは甲斐駒ヶ岳。日本の山だ。」(有田淳介 2016 年夏 登山手記より)

 

 

 

得意なことは、とにかく楽しい。

ーー 物心ついた頃から走っていました。自分が走ることが得意なことは子供ながらに分かっていたから、とにかく楽しかったんです。

幼少期のマラソン大会で軽やかに優勝した時の嬉しさは、人生を通じて、無心に走ることに向かわせた。

狙いを定めずとも、備わっているもので心の底から楽しめたなら、それは往々にして放っておくだけで輝きを放つ。

意図せずとも、いのちは本来、純粋にそこへ向かおうとして生きている。

 

 

優勝したマラソン大会から40年近くの年月を経た今も、朝のランニングを続ける日々に変わりなくとも、かつてとは、環境も立場も随分変わった。

時間を仕切り、処理を待つ数々のタスクに追われ、「解決すべきこと」に向かう毎日。比較、分析、評価、判断。外側の世界への眼差しと、外側の世界から受ける数多の眼差し。

刺激的でたのしくも、思考の途絶えぬ慌しい日々に追われるなか、図らずも、走ることは自らの命のバランスを取るのに欠かせない営みになっていた。逞しくも危うい、心身のバランスを。

 

ーー 僕は、放っておくとエネルギーが溢れて、抱え切れなくなります。どこかで放出していく必要があるんです。周囲との関わりは楽しいし、意識もエネルギーも自然と外へ向かう。ただ、その力が強ければ強いほど、閑かに自らの内に降りていく時間が不可欠なのが自分で分かります。ひと一倍社交的に明るく振る舞う一方で、周囲の様子を敏感に感じるところがあって、大勢の人が集まる場や環境は実はとても苦手です。

そして、外を向き続けていると、自分にプレッシャーを掛けてどんどん追い込んでいく傾向が昔からあって。性格なのか、なかなかそこから抜けられません。修行が足りないのだと、更に自らに圧を掛けていくんですね。そのうちにふと、歩き続ける意味、生きている意味自体が分からなくなる瞬間がやってくる。それは本当に苦しいです。そういう状態の時は身体も不調を感じます。外界に応じ過ぎているシグナルですよね。

そんな時、走っていると思考は次第に消えて‥ 自分が自分の内に戻ってくるのを感じます。朝の空気を駆け抜けると、なんとも気持ちのいいクリアな感覚に満たされます。

 

そこにあるのはただ繰り返される、呼吸と、足の運びと、心臓の鼓動。昨日のわだかまりや明日の不安といった、記憶と思案の集積から解かれる時間に、自らを浸す。

 

 

どこまで出来るか、いつも変化していたい。

日本各地にある「駒ヶ岳」の中でも、その筆頭といわれる甲斐駒ヶ岳。

古くから信仰の道として修験者らが心身を捧げてきた山でもある。その参道である「黒戸尾根」は「日本三大急登」とも呼ばれ、長く険しい急斜面はベテラン登山者達には挑戦の場としても知られている。

有田さんは、この黒戸尾根〜甲斐駒ヶ岳への登山を2016年から毎年続けてきた。一泊二日の旅程であっても過酷と言われるこの道のりを、彼は敢えて「日帰り」することを自らに課している。

ーー 苦しいことがしたいというわけでは無いんです。登頂を目指すという分かりやすいゴールに向けて、今の自分には何処まで出来るのかと、挑む気持ちは確かにあります。達成感は間違いなく素晴らしい体感です。

ただ、それだけではなくて。同時に、苦しみを超えた先にある新たな自分を求めているような感覚があります。変わらない、硬直した状態こそ僕にとっては不安で、常に変化の過程にありたいんですね。挑戦の登山は、全身の体感をもって自らの「変化」を感じられる一つの方法です。そしてその時は、自分の「今」を生きているんです。

 

 

恐怖があっても、足が向かう。

黒戸尾根を日帰りする時は、早朝からヘッドライトを装着して登り始める。それは、体力のあるうちに頂へ向かい、闇の訪れる前に安全に下山するため。そして山の午後は天候が崩れやすい。大きく険しい山に登る時ほど、自ずと、日の出前の暗闇へと入山することになる。

ーー 自然の音だけが轟々と響き渡る、広大な暗闇に一人。何度経験しても、怖いし恐ろしいです。

 

暗闇に我が身が吸い込まれ、飲み込まれるような偉大で圧倒的な存在感。それを恐れる感覚は、どれだけ経験を重ねても、慣れることなく沸き上がるという。

同時に、身体感覚は一気に研ぎ澄まされて、普段は感じ得ない動物たちの気配すら、閉じた視覚の中で感じ始める。

ーー これは経験値で高まる感覚というより、自ずとはたらく本能だと思います。

 

 

 

 

成長の瞬間を共にする喜び

三人兄弟の末っ子ながら、母親譲りの面倒見の良さとお節介好きの性格で、子供の頃から人に何かを教えることが好きだった。

その性分は今なお健在で、自身の変化のみならず、誰かの変化に立ち会える喜びは何より大きいという。

ーー 人の成長や変化に関われること、その喜びを共にできることは幸せです。その上感謝されることもある。嬉しいですよね。自分の智恵や経験が誰かの役に立つのであれば何よりと思うんです。

孔子は世の中を善くしたいと、中華を回遊しながら為政者を補佐し、また自らも政治にも携わったものの、様々な波乱に巻き込まれながら、晩年の10年は政治とは距離を置き、人を育てることに辿り着きました。国家の百年を思えば、必要なのは木を植えることよりも人を育てることだと言った、中国春秋時代の政治家、管仲の言葉も有名です。 

 

それぞれの人が、それぞれの内に持ち合わせている力の可能性こそ未来だろうと、有田さんは話す。

人々に貢献したいという想いは、国境を超えた世界に暮らす人々にまで向けられ、普段は、海外を土壌に、日本と海外の地域社会の発展に貢献する取り組みの経済活動を支援する公的機関に勤めている。

 

 

自分の子どもとは、ただ「共に感じる」がいい

3人の子をもつ親でもある有田さんは、教育を意識する時、我が子に対してだけは特別な認識で捉えているそう。

ーー そもそも僕が山登りを始めたのは、子供との時間をつくりたくて一緒に登るようになったのがきっかけです。30歳頃のことでした。気付けば子供との時間もさる事ながら、自分が誰より夢中になっていましたけどね。

自分の家族に「教える」ってすごく難しいんです。どうしても期待し過ぎたり、求め過ぎたり、相手と一体化しようとしてしまう。好きなことであればあるほど、客観視出来なくなってしまうんです。だから意識的に、適度な距離感をもつようにもしています。僕は学生時代からテニスが大好きで、人に教える機会も頂きますが、自分の子供には教えないと決めています。

 

自分の子供とは、ただ「共に感じる」体験をしていたい。

「怖い」「辛い」「出来た」「嬉しい」「美しい」

そんな、多様な心の動きや体感を。

 

 

 

変わりながら、変わらぬ自分を取り戻す。
「あるべき姿」から自らを解いていく。

子供の頃から楽しくて仕方のなかった、走ること。自分を支えてきた日々の習慣を、2020年の春、思いがけずも継続できなくなる時期を有田さんは迎えていた。

ーー 少し前に大きな挫折を経験しました。これまで築いてきた信頼や関係性を全て失ってしまったと思い込み、その体験は、僕にとって、思いがけない形で訪れた大きな喪失となりました。日々のすべてについて、何のためにやっているのか、目的を見失った状態が続き、次第にランニングどころか、朝、眠りから目覚める意味さえ感じられない時期がしばらく続きました

 

日々の習慣や好きなことが、心身のバランスを取り、自分と世界を信頼する力を与えてくれる。そうして毎日が底辺から支えられる感覚は、人それぞれに経験があるだろう。けれど、その習慣を続けられなくなる時が、思いがけずやってくることもある。自分の意図とは異なるはたらきによって、状況や環境は変化する。大好きだったことさえも、そうは思えなくなる時がある。

 

 

ーー そんな状態の自分を受け入れられずに苦しみの増していく中、友人から、今の自分を受け入れ、これ以上追い込まずに一度立ち止まることを勧められたんです。その一言に、救われる想いでした。友人の助言が無ければ、自分をゆるすことはとても出来ませんでした。

 

自らを受け容れ、立ち止まり、また、歩き出す。

ーー 足元が崩れるような体験と転機を迎え、全てを失ったと自ら思い込んでしまっていましたが、失っていないものもあると気づきました。それは、幼い頃から変わらずにある本来の自分です。そして暫くすると、これまでと変わらぬ自分が手を合わせているんですよね。「目の前のことに集中して、また自分の道を歩く勇気を得られますように」と。僕が今歩いているのは、再起であり、再生の道なんです。

 

 

 

   

 

傍らに繊細なセンサーを持ち合わせた、大きくて力強い心と身体は、溢れるエネルギーの抑制と発散のバランスを、日々の変化の中で取っている。

時折、常にポケットに入れている『論語』を開き、ものごとの姿を紐解きながら、日々起こる体験のなかで身体に智慧を落としていく。

そうして有田さんは今この瞬間も、歩きながら、戻ってくるべき自分の居場所を自分の内に感じているのだろう。

 

(2020.秋)