所直弘さん|『haluta』スタッフ

 

 

一生を超えていく、一生もの

 

 

長野から上京し建築設計の仕事を経て、現在は、古書店の並ぶ東京・神保町に暮らしながら、「食と住まい」を入口に北欧の魅力を発信する「haluta(ハルタ)」の店頭に立つ。

かつて東京神田・万世橋駅舎跡に構えていた「haluta kanda」のスタッフになったのを機に、北欧ビンテージ家具を扱うようになり、今では全国の人へその魅力を伝え、届けるようになった。

2021年春、神田から渋谷区神宮前に移転した「haluta tokyo」は、原宿駅から歩いて10分、喧騒を抜けた先の白い建物の二階にひっそりとある。

  

(追記:2024年現在、「haluta tokyo」の店舗は清澄白河に移転しました)

 
 
  
haluta|duckfeet

 

ーー 古いものが好きなんです。その時間を思うと、転がってる硬貨ひとつとっても「なんかすごいな」って思うんですよね。時間も空間も巡りながら、ずっと存在し続けている。だって、人の一生を優に超えていますよね。
 

 

直せるから、続いていく。
循環しながら、継がれていく。

ーー 北欧ビンテージ家具について、「一生もの」という印象を持っている人も多いと思います。「一生もの」の捉え方は人それぞれですが、「自分が一生使おう」という感覚は僕にはあまりないんです。

そもそものモノとの関わり方として、その時必要なものや、理由なく「好き」と思えるものを "その時々に" 手にできればいいと思っています。自分自身も、環境や住まいも変わっていくし、それに応じてモノとの関わり方も変わっていい。「所有物」として寵愛して、自分の託したい人に手渡すというよりも、手にしたり手放したりしながらモノが世界を循環している状態が、なんかいいなと思うんです。

だから、僕にとっての一生ものは、"ずっとそばにあって変わらないもの" ではないですね。メンテナンスを繰り返しながら共にあって、"その時" がきたら必要なところへ渡っていく。それができるものであるということが、僕にとっての「一生もの」です。

 

haluta 所直弘さん|duckfeet

  

 

自分の手元に変わらずにあるように見えるものも、本当は、そうではないかもしれない。

そうしたくても、できないかもしれない。

どんなものであっても、手の内にあり続けることもなければ、突如として消え去ることもなく、然るべき時、然るべきところへと巡っていくんだろう。

 

メンテナンスという習慣

ーー ビンテージ家具は、手にしてから始まります。よい状態で使い続けるには、壊れる前にメンテナンスすることが大切で、そのタイミングは日頃から意識を向けていないと気付けないんですね家具を購入される時、工具をお持ちでない人には、その家具に必要なドライバーを一本だけでも併せて手にすることをお勧めしています。

モノは、経年変化で朽ちていくものもあれば、使っていればいずれは壊れるものです。長く付き合っていくにはメンテナンスの習慣が必須なんですね。

 

haluta|duckfeet一度用途を終えた素材に、新たな用途を与える人々がいる。
時代を超え、海を超えて、それを使う人々がいる。


"シンプル" の手当てを繰り返す

ーー 使い手によるメンテナンスによって長く広くあり続けるには、「シンプルである」ことは大事な要素だと思います。作りが複雑であったり、細部まで固定し尽くされているものは、解体するにも、再生させるにも素人にはなかなか難しい。

加えて、モノの作りとして、「消耗品」と「継がれるもの」が区別されているということも大事です。例えば、ソファの根幹は手当てを重ねながら継いでいく。一方で、ウレタン部分やスプリングなどは消耗品であったりします。使い手の僕らが、そこを見誤らずに相応しい方法で手を掛けていくということです。

デンマークの人たちは、まとまった資金を作りたい時など、気軽に自宅の庭先でガレージセールを開いて家具や日用品を売ると聞きました。価値ある状態でなければ売れないわけですから、おのずと、手にしたものを良い状態に維持しようとする。それぐらい利己的な感覚で、身の回りのものをメンテナンスする習慣がある気がします。僕は、それぐらいがちょうどいいと思ってるんです。

 

haluta 所直弘さん|duckfeet

   

それぞれの良さと、たのしみ方

ーー この辺りの家具は、主にデンマークやフィンランドを代表するデザイナーによるものです。バイキング(海賊)の歴史があるデンマークでは、船舶に使われた丈夫で上質な木材を、廃船後に再利用することも多くて、1930-1960年代にはそうした廃材から、洗練された数々の家具がつくられました。才能溢れるデザイナーらが描くデザインと、モノに輪郭を与えて成形し得る、巧みな技術を習得した職人たちの存在があってのことですね。そうやって北欧家具は生まれ、世代を超え、海も越えて今もこうして多くの人に愛されています。

モノには、一点ものには一点ものにしかない良さがあると同時に、ある程度の量的生産を前提としたデザインにこそ生まれる、機能美というものもあります。「より多くの人に届ける」ために、シンプルな仕組みを維持しながら、強度を増したり、より多くの人に愛される普遍的なラインを描いていく。そうして生まれる「完成された美しさ」というのも、すごくいいんですよ。

 

一人の人の暮らしを見ても、居場所や共にする相手、その日その時によって、感じるものも引き出される色合いも変わる。

"わたし" が様々であるように、モノにも、幸せにも、世界にも、いろんなタイプと質がある。そこにはそれぞれの、背景がある。

 

選択肢があるということ

ーー 必要以上に作って、「必要」の絶対数を増やしていくということも、今の資本主義社会の世にあっては、あっていい要素の一つだと思います。もちろん、物質的に豊富であることだけが豊かさではないけれど、それを求めて成果を出していくことも、一つの豊かさとして尊重したい。幸せの置きどころは人それぞれで、大事なのは、選択肢があるということかも知れません。選択肢が無いように思われる状況であれば、体験の中から新たな選択肢をつくってもいい。

それは、より相応しい方法を生み出すことでもあって、それを一緒につくる仲間や、受け入れてくれる土壌があるのと無いのとでは大きな違いがありますね。

デンマークの社会には、もしかしたらそうした土壌が「ありふれた感覚」としてあるのかも知れません。社会に選択肢が溢れているのは、純粋にいいなと思います。日本にも広がるといいなって。 

 

haluta デンマークビンテージ家具 所直弘さん|duckfeet

haluta 所直弘さん|duckfeet

     

軽やかなシェアの感覚

 ーー デンマークには、オーガニックなものを生産することも、それを手にすることも特別ではない環境があって、ビンテージ家具を手にしたり手放したりすることも同じ。

基本的に、流通しているものが上質であることが多くて、失敗した買い物の経験が人々にあまりないことも、軽やかにモノを循環できる要因の一つなんじゃないかと思います。思想や道徳に寄ることもなく、慎重になり過ぎることもない。

最近でこそ、特に車や家具においては、日本でも「所有からシェアへ」という価値観に移り変わってきましたが、デンマークには、ごく自然にそういったモノや社会との付き合い方があったということかもしれません。インターネットを通じた様々なツールのお陰で、個人が簡単にモノやサービスを売買できるようになりました。シェアの感覚は、僕らの間にも自然に広まりつつありますね。

 

いろんなあり方、いろんなかたち

ーー 僕らハルタは、「食と住まい」を通じて北欧の文化をご紹介しています。でも、ハルタ自体が同じような価値観であるかと言えば、そうではないかもしれません。今の日本の社会も、僕自身も、彼らの価値観とはたぶん異なるし、それでいいんだろうと思います。

デンマークの人々の幸せのかたちも、きっと、それぞれなんじゃないかな。

 

   (2021.初夏)

 
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