マツーラユタカさん、ミスミノリコさん|『manoma』店主 @山形 鶴岡
どこにあっても
早朝、いっせいに水辺を飛び立つ光景は
本当に美しくて。
白鳥たちがやって来る夜、音がするんです。
ほぉーほぉーって鳴く声と、羽ばたく音と。
ああ 秋が終わる
今年も冬が やってくる
鶴岡の冬は荒れやすく、薄暗い。
豪雪に覆われる年もある。
掻いても掻いても
いずれまた雪は積もるし
掻いたそばから降ってくる。
果てしなく感じるこの雪掻きが、
この土地の冬仕事。
土地に根付いた文化や風習、仕事の多くが、
厳しい冬を生き延びるための営みから生まれている。
冬の只中、町から人は少なくなるけれど
その時季にこそ採れる実りがあるし、
それを育てる人たちがいる。
寒さの中で育つ野菜は
また、すごく美味しくて。
冬には、冬なりの過ごし方。
春になると、白鳥たちは
更に寒い土地へと旅立ちます。
鶴岡には、「自分の神さまがいる」って感じるんです。
311の後、たくさんの友がそれぞれのご縁で
新しい土地へと旅立っていきました。
みんなの暮らしぶりを知りたくて訪ねてみると、
何処へ行っても、それぞれに
移住を決めるだけの魅力がありました。
でも「自分の神さま」がいる感じがしたのは
ここだったんです。
月山* を水源に、日本海へと流れる「赤川」
山形は庄内平野に連なる信仰の山、出羽三山* の麓で生まれ育った。
羽黒山* のお社は、子供の頃から大切な節目に
手を合わせてきた特別な場所。
この地に戻ってくるなんて考えてもいなかったのに
自分の神さまは、気づけばずっと"ここ"の神さまで
いつしか、自分ひとりではなく
"ぼくら"の神さまになっていた。
山が、水が、田が神であり
暮らしと神が繋がっている。
あらゆる間と間を
いったり きたり
* 出羽三山(でわさんざん):
羽黒山(はぐろさん)、月山(がっさん)、湯殿山(ゆどのさん)の総称
...........
ミスミさん:
私は、川崎(神奈川県)のいわゆるベッドタウンで育ちました。
マツーラさんと出会って初めて、雪国で迎えるお正月を知って。
はじめの頃は、雲に覆われたお正月が信じられずに
ひとり、風邪で寝込んだりもしていましたね。
今となっては、懐かしいです。
秋田の木版画家 池田修三が描く少女のまなざしに見える、雪国の色。
ミスミさんは、彼の企画展ディスプレイを担当したこともある。
寒くて暗いところにずっとこもっているのは
性格的に、きっと私には向いていない...
でも、冬の厳しさを超えてしまうほどの魅力があるんです。
鶴岡には、人に紹介したいところがたくさんあるし、
土地の美味しいものをみんなに食べてもらいたい。
今では、自分の故郷のようにも感じます。
たとえ隣町でも、外へ出て鶴岡に戻って来ると
ー ただいま ー って思うんですね。
多くの祈りが捧げられてきた土地だからか、
なにか、守られているようでもあって。
マツーラさん:
以前、僕らは東京の郊外に暮らしていました。
駅には充実した百貨店やスーパーが直結していて、いつでも豊富な食材が揃う。
生活するにも、料理の仕事をするにも事欠かない環境でした。
ただ、消費を促す市場の意図に日常が晒されているようでもありましたよね。
当時はあまり意識していなかったけれど、ストレスになっていた気もします。
社会を、いつもどこか、斜めに見ている自分もいました。
鶴岡のスーパーのクリスマス飾りは、
なんとも微笑ましいですよ。
ミスミさん:
私はディスプレイデザインを仕事にしてきたので、
東京にいた頃は、冬を迎えると街のウィンドウを
華やかにディスプレイして、クリスマスの夜は
その撤収に追われていました。
今なんて、杉林に雪が積もった姿に
「あ、クリスマスツリーみたいでかわいい」ってー
それで、充分だなって。
冬が長い分、春がやって来るのが待ち遠しいし
春を見つけると「あぁ春だ!」って、もう本当に嬉しくて。
(撮影:マツーラユタカさん)
マツーラさん:
豪勢なクリスマス飾りの代わりに
鶴岡の冬のスーパーには
「大黒様の歳夜(おとしや)」コーナーが作られます。
毎年12月9日は大黒天を祀る日で、
各家庭で黒豆や二股大根、子持ちハタハタをお供えします。
収穫や子孫繁栄に感謝する習わしですね。
大晦日には、羽黒山で「松例祭(しょうれいさい)」が執り行われます。
12月になると、これに備えて
山伏が法螺貝を吹きながら一軒一軒を訪ねて回り
出羽三山神社のお札を納める「松の勧進」が行われます。
"年の瀬だなぁ"と感じる、鶴岡の冬の風物詩です。
ミスミさん:
収穫のタイミングとか、古くからの暦を迎えるたびに、
採れたての素材で最高のものをこしらえたり、お供えをしたりする。
そこにかける、地元のお母さんたちの熱量はすごいんですよ。
マツーラ夫妻の店にも法螺貝の音が響く。
この日、山伏から新しいお札を納めていただく。(撮影:マツーラユタカさん)
自然と暮らしがひとつながりの
"日々の習わし" をもって、
人のリズムが刻まれている。
春は、名所と言われる場所へ行って花見をしたり、
夏は、浜へ行って泳いだり。
日本海に沈む太陽を臨む夕暮れ時も、美しい。
地元の人は、ここぞというものをよく知っていて、
お薦めのものはどれも最高。
お決まりのコースを繰り返しても飽きないのは
"お決まり" が本当に素晴らしいから。
長い冬が終わると、みんなのもとへ春が訪れる。
桜が咲いたら、この時季にだけ開く団子屋さんで
最高に美味しいお団子!を買って花見に繰り出す。
春の鶴岡(撮影:マツーラユタカさん)
ミスミさん:
鶴岡には、在来種の野菜がとても多くて、
この辺りの住宅地で採れるものでも特有の種類であったりします。
マツーラさん:
カブの種類は特に豊富で、その多くは、
林業との循環で育まれる「焼畑農法」で作られます。
林業の衰退もあって継承が危ぶまれた農法ですが、
在来種や、伝統的な栽培方法を尊ぶ人たちの後押しもあって
今、農と林業の繋がりは蘇りつつあります。
木々を伐採した山肌を焼いて、種を蒔く。
夏の稲穂の様子から、充分なお米の収穫が見込めなければ、
カブや蕎麦の種を例年よりも多めに蒔きます。
夏に種蒔きして、雪の降る前に収穫できる作物は
鶴岡の人々の生存戦略に組み込まれた欠かせない食物です。
そうやって冬越えの準備をして
カブの収穫を終えたら、再び森を育てます。
ミスミさん:
土地の産物、食材の処理の仕方、
生活の知恵や言い伝えー
暮らしに根付いた知恵というのは、本当にすごいです。
食も農も、工芸や神事、毎年の雪掻きも
生き延びるために必要なことは、みんな繋がっているんですね。
マツーラさん:
今のような流通のなかった時代
雪に閉ざされた環境で生き延びるには、暮らしそのものが、
村や家族の営みの中で「完結」している必要がありました。
農閑期、暮らしの必然から多様な手仕事が営まれ、
冬仕事は文化となって土地に根付き、育くまれました。
こうした環境では独自の文化が育つ一方で、
産業化できるものではなく、途絶えやすいのも事実です。
今、遺されているものを、僕らも繋いでいけるといいなと思っています。
(撮影:マツーラユタカさん)
マツーラさん:
修験道の聖地である出羽三山。
お世話になった山伏の先達は、
「山に籠って修験に励む者だけが山伏じゃない。
現代においては、ものごとの"間と間"を繋ぐ者はみな山伏」
と言います。
山の中での祈りだけではなく、
どこにあっても「間を繋ぐ者」はみな、本質的に山伏であると。
...........
友人からの声がけや
父親の死
様々が織り合い
いつしか二人はともに
出羽三山へ通うようになる
同時に、ご縁に導かれるようにして
身体のあり方、自らのあり方、
つまりは自然の成り立ちを
互いに学び合うようになっていた
その延長の上に、
鶴岡の土地に暮らして
町の一角を灯すあかりの下で
どちらともなく
あらゆる間と間を
いったり きたり
...........
manomaには、「間の間」という意味が込められているそうです。
海と山
町と自然
作り手と使い手
見えるものと見えざるもの
古きとあたらしき
意識と無意識
あの世とこの世
二人のつくる間の間は、二点を繋ぐ間というより
広がりがあって、制限のない
どこまでも連なり、重なり合う円のようにみえました。
*
躍動感のあるお店のロゴは、
同じ山形に暮らす吉田勝信さんのデザインで
山のお石を使って、目をとじて文字が描かれたそう。
人の意図を離れたところに生まれる線。
岩に砕ける水のような
山を走り抜ける獣のような
manomaの文字は
いったい何者<だれ>のデザインだろう。
山形県鶴岡市は、ユネスコ認定の「食文化創造都市」。
二十四節気「小雪」のメニューにも、温海カブや庄内柿といった地元ならではの食材が並ぶ。
油揚げの衣を使ったコロッケの中身は、近隣の真室川の伝統野菜・甚五右ヱ門芋。
門外不出の家系に継がれる、貴重な里芋。
manoma
山形県 鶴岡市朝陽町18−8
Instagram: @manoma_tsuruoka
https://manoma-tsuruoka.com/
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