父から子へと継がれる"橋渡し" 成川恒太さん|『北欧の匠』店主 @東京 銀座

父は、1970年代の中頃から、日本にデンマークの玩具<LEGO>を広めた人でした。創業当初(1930年代)は伝統的な木のおもちゃを製造していたそうですが、後に誕生したプラスチック製のレゴ・ブロックは、世界を驚かせる画期的な玩具の姿だったと思います。

初代LEGOの人型には、目も口も描かれていなかったそうです。使われる色も限定されていて、今よりもずっとシンプルなつくりだったといいます。

どんな人が、どんな気持ちで、どんな表情をしているか。手に取る人が、自由に想像しながら遊べるようにー。

 

ぞんぶんに、あそぼう

LEGOとは、デンマーク語の「Leg Godt」=「存分に遊ぼう」という意味に由来する造語です。その意味は知られていなくても、姿、形、そして<LEGO>という発音自体、世界中の人にとって親しみやすいものでした。そんな自由にあそべる余白とシンプルさが、 "ぞんぶんに あそぼう" というのびやかなメッセージをまとって多くの人に受け入れられていったんですね。


LEGOが世界各地に勢いよく広まるさなか、当時、米国の広告代理店に勤めていた父は、レゴ社が日本展開するにあたってのマーケティングを担当していました。それがご縁で、結果的に、自ら中心となって日本支社を立ち上げることに。僕がまだ小学生の頃です。以来、日本とデンマークを往復する父の姿をみて十代を過ごしました。

 

 

はじめてのデンマーク、はじまりのデンマーク

10代の終わり、大学受験に失敗をして気落ちしていた時、「一緒に行ってみるか」と父から声をかけられて。それじゃあと3週間ほどデンマークで過ごしました。今から30年以上前のことです。


レゴ社のあるビルンの町はユトランド半島の内陸にあります。今では国際便が行き交うビルン空港も、当時は軍用機専用の飛行場が民間に開放されたばかりで。便も少なかったから、父と二人、コペンハーゲンから列車で向かいました。レゴ社は海外出張用に自社用ジェット機を何か所有していて、僕は、その洗浄や整備の手伝いをしながら滞在させてもらったんです。


あの頃のデンマークの地方は、本当に牧歌的でした。今でこそ、何処へ行ってもデンマークの人のほとんどが英語を話せるけれど、当時は話せない人が圧倒的に多かった。整備担当のおじさんもデンマーク語しか話せなくて、言葉は通じないなか一緒に作業させてもらいました。


受験を控えていたので、3週間の滞在を終えて日本に帰国しましたが、そのまま滞在を続けて現地の学校に通ってもよかったーーそんなことも、今となっては思います。当時は、今よりずっと滞在許可が下りやすかったはずですから。

 

  

 

父は、「株式会社 北欧の本物だけ」をはじめました

父は55歳でレゴ・ジャパンの経営から離れたあと、少しのんびりしていて。しばらくして、北欧の手仕事を日本に紹介する仕事を始めました。その名も「株式会社 北欧の本物だけ」。本当にその名前にするの?って家族でも聞き返したくなるような会社です(笑) 長年北欧との往復を重ねるなかで、素晴らしい作り手の方々とのご縁が蓄積されていたんですね。"年月をかけて育まれていく価値" を教えてもらったのも、レゴ時代に出会ったヴィンテージの家具屋さんだったと言います。


はじめは輸入卸しをしていましたが、どうしても取りこぼされてしまうものがあると言って、地元 横浜・伊勢佐木町にショールームと店舗を兼ねた「北欧の匠」を構えました。3年後、今ある銀座一丁目に移転して、今年で27年目になります。


作り手の人生や、その人が大切にしていることが、モノには宿っている。父は、自ら足を運んで人に会い、ものを選び、持ち帰り、そして自ら店頭に立って、そうしたモノの背景にあるものをみなさんに伝えたかったんだろうと思います。


一緒にやりたい "橋わたし"

いろんな人と人との間に立ってやり取りをしている父は、とても楽しそうで、幸せそうでした。密かにそんな父と一緒に仕事がしたいって、僕は20代の頃からずっと思っていたんです。


自分は大学を卒業した後、企業で店舗設計や内装の仕事をしていました。様々な事業を任せてもらって充実もしていましたが、やっぱり父と一緒に仕事がしたいーー その想いは変わらずにあったんです。父は、すべてを一人でやるつもりで会社を経営していましたから、実際に一緒に仕事を始めるまでにはしばらく時間が掛かりました。父と子で何ができるか、お互いに熟考する時間が必要だった。

 

 

今、父と共に「北欧の匠」に立つようになって23年あまりが経ち、父は今年、89歳になりました。それぞれの好きなこと、得意なことは違いますから、お互いの領域を尊重しながらこれまで補い合ってきて、今もその関係は継続中です。

父のご縁で繋がる作り手の方々も、今では高齢になりつつあります。彼らのものづくりを継承する人がいない場合も多いです。父の意見をもらいながら、巡り合う新たなご縁を大切に育んでいるところです。ですから、お店に並ぶものは、父と自分、それぞれのコレクション(縁の集まり)もあれば、父から自分が受け継いでいるもの、自分から父に紹介したものなど、様々なご縁とモノが混ざっています。

 

 

デンマークという国と社会、それぞれの「わたし」と「わたしたち」

デンマークに暮らす多くの人が、デンマークという国を心から愛していて、誇りをもっていることが話していると伝わってきます。少し語弊があるかもしれませんが、「デンマーク=わたし」に近い感覚があるんじゃないかな。みんな政治の話が大好きですし、投票率はとにかく高い。国の政策は自分や自分の大切な人のことでもあるから、他人(ひと)任せにしない。政治を担う人のパーソナリティまで意識を向けるし、政治家としての手腕を真っ直ぐにみようとしますよね。


社会の根底に"公平"と"尊重"があって、共有されている倫理に基づくジャスティスには正直で、忖度もなく、裏がないというのかな。その代わり、起きたことにこだわることなく、今あるポテンシャルに目を向けて、トライ&エラーを歓迎していく気風が社会にあります。それはもちろん、一人一人がそのようであるから、そうした社会になるわけですがーーやっぱり「教育」だろうと、僕は思います。


以前、幼稚園を見学させてもらったことがあって。デンマーク社会はこうして創られているのかと、子どもたちの一日の過ごし方は衝撃的でもありました。「今からどうしたい?」という先生の問いかけに、子どもたちは一人一人、自分はどうやって過ごしたいかを意思表示します。すると「オーケー。じゃあ、そうしましょう」と、それぞれが望んだ通り、思い思いの時間を過ごします。一人で過ごす子もいれば、お友だちと遊ぶ子もいる。どうあってもいいわけですが、それを1日に4回、毎日繰り返すんです。


こうして幼い頃から、人はそれぞれ、個人によって異なる感覚や意見を持っていること、そして、それが異なるままに尊重されて然るべきで、そうであっても調和が保てるということを、とにかく体験を重ねて学んでいるという印象です。

 

 

本当の望みをきいて、方法を探って、やってみる。

息子は、この春までデンマークに11ヶ月の間、留学をしていました。留学先は、「フォルケ・ホイスコーレ」と呼ばれるデンマークの国民学校で、年齢が17歳半を超えていれば誰でも入学できる全寮制の学校です。大学まで学費は無料のデンマークでは唯一の有料校ですが、学費はとてもリーズナブルで、あらゆる人に学びの機会が開かれていることが設立趣旨の根底にあります。デンマークの国内に約70校あって(2023年現在)、芸術、スポーツ、医療やスピリチュアリティと扱う分野は様々です。


車椅子の息子が通っていたのは、障害者と健常者が共に暮らし、共に学ぶことを目的とした学校で、生徒の約4割が身体になんらかの障害のある人で。ここでは、障害のあるかないかを区別せず、とにかく本人の「やりたい」気持ちが尊重される。「出来るか出来ないか」ではなくて、常に「どうやったら出来るか」に焦点が当てられるんですね。どんなにリスクがあっても、それを理由に「やらない」と結論付けることをしないんです。その徹底ぶりには、本当に驚かされます。


例えば、登山一つをとっても、一瞬でも手を離したら命を失うような険しい山岳登山の機会もあります。「例年通り」のルートはなくて、引率する先生たちも生徒と一緒に挑戦をするわけです。「問題ないよう安全な道を取る」という選択の仕方はしないんですね。もちろん、参加するかしないか、本人に選択の自由があることは大前提です。

 

トライ&エラーを歓迎しよう

違いがあるからおもしろい。誰もが一緒に同じことをしなくてもいい。でも、本人に意思があるのなら、協力し合ってやってみる。

責任を追及し合う社会では、到底出来ないことだなと思います。個々人の意思を尊重することが社会の共通認識として共有されているからこそ、そうしたリスクまでもを包摂しながらトライ&エラーを受け入れ、前進していけるんですね。


異なる一人一人を尊重しながら、望みに向かって経験していくことの価値を社会全体が常に育んでいて、共有している。僕自身、北欧の様々な国の方との関わりがありますけれど、デンマークの人と話していて、自分の意見が否定されたように感じたことはこれまでほとんどありません。建前の同調や、行き過ぎた気遣いのようなものがない代わりに、「ちゃんと聞いてくれている」という感覚がすごくあるんです。あっさりとして冷たく感じる人もいるかもしれないけれど、デンマークの人たちにとって、それが、相手や他の人を尊重する 優しさ でもあるんですね。
 
 
 

  

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職人が想いを込めて創り出す作品とも言える製品たちを眺めていると
純粋に「美しい」と感じます。
その作品を実際に使ってみると違った感情が湧き上がってきます。
 
「楽しい」とか「嬉しい」とか。
 
どんどん幸せな氣持ちになってきます。
 
使えば使うほど美しさが増していき
愛着が出て来た頃には
その人にとって

新品よりも自分で使っているモノの方が価値が増しているのです。
 
私たちはそういう製品を「本物」と考えています。
 
『北欧の匠』HPより
 
 
 
『北欧の匠』では、duckfeetのものづくりに共感いただき、靴、ブーツ、サンダル、鞄と各種アイテムをご紹介いただいています。
 
 
 
 
  
 

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text & photo |erico tsumori