わからなさを味わう感性が育つ社会へ 須長檀さん・理世さん|『lagom』店主 @長野 御代田
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人と人がお茶を交わす時間から
ー duckfeet japanは、デンマークのオーナーファミリーとは20年以上のお付き合いになります。世代が変わっても、変わらない親戚のような親しみがあって、その関係性は、扱うモノと同様にかけがえのないものです。自分の体験を振り返っても、北欧と関わりのある色々な人から話を聞いてみても、そうした人と人との関わりは、duckfeetに限ったことではないようにも思います。
かつてはスウェーデンに暮らし、今も長野(軽井沢・御代田)の土地から北欧の人たちとの交流を続ける須長さんは、どんなふうに感じていますか。
須長 檀さん(以下、檀さん)
そうですね。仕事であっても、はじめにお茶や食事を共にしながら話をするのは普通のことで、自宅に招いていただくこともよくあります。お茶を一緒に飲んで、仕事とは関係のないおしゃべりをして。そんな関わり合いからお互いを知り、信頼感が生まれて。その延長に、依頼されたり、託したり託されたりといったやり取りが始まっていく感じですね。
どこへ行っても手作りのお菓子やパンを焼いて迎えてくれるので、一日に何人もの人を訪ねてまわる日は、すごい量のシナモンロールとコーヒーを頂いて大変なことになります。笑
綱渡りのようで、まわりの人が機会を用意してくれていた
ー 軽井沢に、北欧の家具や小物を扱うショップをオープンされたのが2014年と伺っています。お店を開くに至るまで、北欧とはどんなご縁があったのでしょうか。
檀さん
父は家具デザインをする人で、留学先のスウェーデンで母と出会い、僕が生まれました。母方の祖父も、家具メーカーを創業した人でした。3歳の頃までスウェーデンで過ごして、日本に帰国後も、のちに僕自身デザインを学びながら、日本とスウェーデンを行き来するようになったんです。
学生時代、家具のコンペで手にした資金でスウェーデンへ旅に出て、滞在中、ぜひここで学びたいと思う家具デザインの大学に出会って。旅から帰ったあと、入学するために必要な資金と現場の経験を積むために、旭川(北海道)にある家具メーカーの工場で1年間働いて、大学に入るために再びスウェーデンへ。
GOTEBORG大学で、まずはゲストスチューデントとしてデザインを半年間学び、もう半年在学を伸ばしたら、何らかの手違いで一年間のVISAが下りたんです。思いがけず手にした半年間で、現地の家具メーカーで丁稚奉公として働く機会をいただきました。お世話になった3ヶ所のうちの一つのデザイン事務所が、自分にデスクを当てがって、家具のデザインをさせてくれたんですね。そこで描いた一つを気に入ってくれて、試作を作ることに。それが、家具メーカーの工場で商品化されて、思いがけずデザイナーデビューとなりました。ミラノサローネ(世界最大規模の家具見本市)やケルン、パリなど世界中に展開するメーカーだったもので、本当にありがたいデビューをさせてもらいました。その実績があったおかげで、ストックホルムの大学への入学が叶ったわけです。
今振り返っても、幸運と綱渡りの連続ですね。
その後、大学院在学中に、日本から来ている交換留学生の女性がいるから少し面倒をみて欲しいと紹介されたのが、妻(理世さん)でした。それから25年、いつのまにか僕が面倒をみてもらう関係になっていましたね。笑
ー 理世さんも留学をされていたのですね。
須長 理世さん(以下、理世さん)
私は美大で日本画を専攻していて、大学の交換留学でスウェーデンを訪れました。日本画は、師にあたる先生から技法を教わって、師から「描くべきは何か」を示してもらってそれに忠実にあることで技術を磨く過程があります。スウェーデンで出会ったアートは、まるで真逆で、衝撃でもありました。
スウェーデンの学びの場には、まず「あなたは何がやりたい?」という問いがあって、それを実現するための環境を用意しますよ、というのが学校や先生のスタンスなんです。その代わり、「理由」を必ず述べなくちゃいけない。どうしてこの表現や作品が生まれたのかを、自らプレゼンテーションすることを求められます。言葉で表現して対話していく、ということですね。
日本画の世界は、「この樹を、この紙のこの位置に、このように描きます」という指示に従う学びですから、そこにある大きな隔たりの刺激の大きさは、当時19歳の終わりぐらいだった私には、気持ちを揺さぶる衝撃以上の何かがあったんです。
可能であれば、ここでの学びを続けたいという思いがあって、在籍していた日本の大学に話をして退学をさせてもらって、ヨーテンボリ大学にテキスタイルアートを学ぶため入学し直しました。
檀さん
言語もままならないなか、作ることに一途に、アグレッシブに動く彼女をすごい人だなと思ってみていました。
北欧の社会には、日本ではあまり考えられないような"機会"に溢れていて、有り難くも僕らは、それぞれに貴重な機会をいただく連続だったように思います。
例えば、とある家具フェアで店番をしていた時のこと。隣のブースで同じく店番をしていた学生の家具が、その場で商品化が決まり有名デザイナーになる瞬間に立ち会ったことがありました。「こんなことがあるんだ!」って。勘違いかもしれないけれど、自分もそうなれるかもしれないと思えた体験は、すごく大きかったです。チャンスが転がっているんですね。年齢や立場に関係なく、いい表現をしたら、見つけて引っ張り上げてくれる人がいる。隣で見ていてすごくワクワクしましたね。だから「自分もやってみよう」って。
理世さん
言葉も足りずに、今思えば「表現」とは言えないものについても、周りの人たちが真摯に評価をしてくださった。常に肯定的に、私の中から、もっともっと言葉を引き出そうと、いろんな手筈をしてくださったという印象がすごくあります。やり直しの効かないことでも、信頼いただけたら迷わず任せてもらう経験は、北欧的な人との関わり方を象徴するような体験でした。
大学でも仕事場でも、人と人が対等になれる時間があって、パーソナルな話をしながら付き合いが深まっていくんです。たとえ10分足らずの短い時間でも。とはいえ、食事やお酒に付き合わなくてはいけないような空気は一切なくて。 人との関わり方がとても上手ですね。
舞台好きな理世さんは、ヨーテンボリの公立劇団に「研修させてもらいたい」と訪ねたところ、その日から舞台衣装を任されたこともあった。本人の意思があれば、チャンスはいつも開かれている。
(photo:lagomの向かいにある 御代田写真美術館 @MMoP)
檀さん
かといって、なんでもいいわけでも、惰性的にいい加減なわけでもないんです。さりげなく設定されている対等になる時間が、大事な人と人を繋ぐ機会になっていたり、然るべき配慮がされていたりする。自分が望めば、平等に機会を与えたり環境を整えたり、最大限のことをしてくれるんですね。ただ、こちらから動かなければ何もしてくれません。
理世さん
もちろん、アジア人としての居心地の悪さも経験しましたけれど、私たちの人生にとってはとても大きな経験で、今でも、また帰りたいという気持ちになります。
混ざりあうまま、わからなさを味わう感性が育つ社会へ
檀さん
スウェーデンには、手工芸とアートが混ざりあうカルチャーがあります。
産業革命を機に、西洋社会では工業化と同時に、デザイナー(アート)と工場(制作)がそれぞれに独立した役割をもって確立していきますが、スウェーデンは地理的な理由から産業化の波も緩やかで、変革が遅れていました。
そのお陰もあって、デザインとものづくりの境が曖昧なまま、家の中で、織り機を使って織物を織るような家内製工業が残り、結果的に、暮らしの一部にある手工芸が守られながら文化や社会が発展してきた経緯があります。「テキスタイル・アート」といった概念はその延長に生まれたもので、「テキスタイル・デザイン」とは別に大学の専攻分野として学部が確立されているほど、アートの価値が社会で共有されているんですね。
こうした、手工芸とアートが混ざり合っているのが北欧文化の特徴で、今も手工芸は、「美術工芸」とも呼ばれます。技を極めるというよりは、ファインアートに近い。極端に言ってしまえば、使えなくてもいい。「用の美」というより、工芸を使ったアート表現というのでしょうか。そういったものが僕らは好きで、それを受け入れる土壌がある北欧の土地に、とても魅力を感じています。なんだかよくわからないものが、暮らしのなかにいっぱいあるんです。
超絶技巧と呼ばれる手仕事の良さももちろんあるけれど、そうでなければ「なってない(十分でない)」というわけではありません。轆轤(ろくろ)が回せなくても陶芸をやってしまう文化があって、それが作品として成り立つということは、そうしたものに、なんともいえない面白さや人生の深みを感じたりする人たちがいて、求めて購入する人がいるということです。たとえ使い道がわからなくても、使い手がいる。そうした感性を楽しむ生き方を、僕らも大事にしたいなと思っています。
理世さん
ハートフルなもののあたたかさというものがあります。人間が生み出すことの楽しさ、面白さ、心地よさ。そういったものを暮らしに取り込んで生活していくー。
檀さん
よくわからないものをそのまま受け入れて、10年掛けて答えを見出していくような物事との付き合い方というんでしょうか。何かわからないけど、ずっとここにあって、「これってなんなんだろう、何に惹かれてるんだろう」って問い続けるのは楽しいですよね。
美しさが何かわかっていて、説明できることもあっていい。でも僕らはどちらかというと、わからなさに心地よさを感じます。冬の長い土地での暮らしは、自然と内省的になりやすい。北欧の人たちは、そうした時間を楽しむ能力に長けているんです。長い冬と共にある暮らしから生まれる新しい表現があって、形にする作り手と同時に、それを楽しむ使い手がいる。そうして内省的な世界を味わう文化が育くまれ、成熟してきた社会があるように思います。
ある意味 "こども" 的な表現も、それを読み込む成熟した心と目が周囲にあって。そんな関係性があることは、幸せな社会の大切な要素の一つなのかもしれません。そうした感覚を交流できる関係性が、日本でも広まっていくといいなぁと、本当に思います。
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lagom
長野県北佐久郡御代田町大字馬瀬口1794-1MMoP
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長野県北佐久郡軽井沢町星野 ハルニレテラス
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SUNAGA DESIGN.COM
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text & photo |erico tsumori